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任天堂スーパーファミコン
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簡単な概要です。
任天堂・スーパーファミコン1990年に発売された16ビットゲーム機です。
当時の価格は25,800円。
累計販売台数は日本国内で1717万台、
全世界で4910万台も売り上げる製品でございます。
ま、皆様ご存知のスペックを記載していきます。
CPUは5A22 65C816 カスタム
周波数は1.79Mhz、2.68Mhz、3.58Mhzに切り替えられます。
RAMは128KB
VRAMは64KB、
どうも、
完成直前までファミコンとの互換性を持たせる設計だったらしいですね。
ファミコン・スーパーファミコン共に黄ばみがひどいです。
バーチャルボーイ以降、Wii登場まで色を付けたのは黄ばみ防止でしょうか?
ファミコンよりもスイッチ類が大きくなっているのが特徴ですよね。
スーパーファミコンのコントローラー端子は本当に秀逸だと思います。
思えば、コントローラー端子が差し込みやすくなったのってスーパーファミコンからでしたね。
そして、
このAV端子もものすごく秀逸。
任天堂のゲーム機はWiiまでこれが使えますからね。
ある意味、標準規格です。
更に、RF端子もつけているところがなかなか素晴らしい。
消費電力は倍に増えて8W
プロジェクションテレビって懐かしいですね。
お金持ちの方だけが使えた幻の端子。
サテラビュー、なつかしい。
2013年3月5日 追記
押入れの中を整理していたら、
説明書が出てきたので掲載致します。
このカラーリング、懐かしい。
なお、「改訂版3」らしいです。
ダイクマというのもまた懐かしいものです。
日付からお分かりの通り、
実は、スーパーファミコンを購入したのは比較的遅いのです。
この配線がある頃の時代。
コメント
スーパーマリオワールド、やったなぁ…
まぁ2000年ごろにですがw
スーパーマリオワールド、
いつやっても名作ですよねw
自分も何年かに一度思い出したかのようにプレイしますw
あれ、100%クリアを目指そうとするとかなり難しいんですよね。
100%クリアは確かドラゴンコインも集めなくてはなりませんでしたよね
全コースに5枚づつあるのですからかなり難しいです。
謎解きなコースも存在するので難易度はマリオの中でも高めだと思います
他に星のカービィSDXもやりました
いや、確か全コース、隠しを含めてクリアするだけでOKだったはずです。
ドラゴンコインは1UPではなく、
何か別の機能を持たせてあげても良かった気はしますよね。
確かに、難易度は高いですが、
個人的にはマリオ64以降の3Dアクションが全く攻略できない人ですw
SDXは名作ですよね。
セーブデータがひたすら消えますが(泣)
実はこのスーパーファミコン…、ロムカセットだけではなく、メガドライブやPCエンジンと同様、CD-ROMにも対応する予定だ! そのためスーパーファミコンCD-ROMアダプタの開発に関わるのはSONY(ソニー)、そしてこのスーパーファミコンCD-ROMアダプタのコードネームは「プレイステーション」…。 な、何とプレステはスーパーファミコンの周辺機器にしか過ぎなかった! 今では有り得ない任天堂、SONY、フィリップスの夢の巨大プロジェクト。 シャープはNECに浮気した前科があるからダメだ。それ反して、ソニーとフィリップスはいつでも任天堂の味方。と凄い事を威張りながらこのプロジェクトは開始し、宮本茂もスーパーファミコンにCD-ROMを付けるという事は大賛成していた! しかし、この任天堂とSONYの巨大プロジェクトとはそう長くは続くことはなかった…。 あくまでスーファミの周辺機器にしかすぎなかったプレステだが、1990年代は「時代はカセットからコンパクトディスクに…」に移り変わる時代であり、もし光ディスクが主役となった時代になるとその力関係は、たちまち形成逆転!! 任天堂はたちまちSONYに買収される結果になってしまう! その事を知る由もない任天堂、その浮かれっぷりもスーパーファミコンCD-ROMアダプタの完成までのぬか喜びに過ぎなかった…。しかし任天堂の調子ぶりはその上を超えていた!! スーファミの圧勝から出た結論上、任天堂「コンパクトディスク、要らなくね!?」 という分でこのスーパーファミコンCD-ROMアダプタ計画は白紙、それを聞いたファミ通、SONY、フィリップスは総ずっこけ。 未発売のままで終わってしまったスーパーファミコンCD-ROMアダプタ、SONYの買収から逃れた任天堂。フィリップスはあっさり家電に力を入れるが、任天堂に見捨てられてしまったSONYは復讐の鬼と化し…、SONYは任天堂に復讐してやるため、独自路線のプレイステーションを開発するのであった…。 これがスーパーファミコンの裏ストーリーです。 もしスーパーファミコンCD-ROMアダプタが発売されていたら…、ゲームの歴史も今とは違うものになっていましたね…。
製品名がプレイステーションで、
コードネームがPSXだったんですよね。
どちらもブランド名として使われたのですから、
ソニーはすごいと思います。
スーパーファミコンのCD-ROMアダプタが発売されていたら、
また違う結果になっていたとは思いますが、
果たして、それが最良の結果なのかどうかはまた微妙なところです。
ちなみにフィリップスはこの結果、
CD-iの路線に突入してやらかしていたりするので
どちらにせよ、影響は大きいですw
サターン、PC-FX、初代プレステ登場以前の1990年代前半(1993年〜1994年頃)、光ディスクを導入する気のない主義の任天堂、カセットだけで何とか良作、名作ゲーを送り出すのは良いが…、この光ディスクを導入しない主義こそが人付き合いの悪さが災いを招いていた…。NEC、SEGA、3DO(パナソニック、サンヨー、金星電子)、バンダイ、アタリ、コモドールに続きSNKまでもが光ディスクを導入した事によって、任天堂以外のゲームハードメーカーは全て光ディスクを採用済み。任天堂だけ仲間外れにされる結果となった…。そこまではまだ良いとして、
光ディスクの利点と呼ばれる、低コストでROMカセットよりも大量生産が可能という事。ゲームソフトメーカーにとっては高コストのカセットなんかよりも低コストで開発しやすい光ディスクの方に向かうのが当然の事…。これではSFCのサードのソフトを全て光ディスクのゲーム機たちに取られてしまう! サードのソフト頼りの任天堂とスーパーファミコンにとっては致命的問題…。任天堂とスーパーファミコンは仲間外れにされて気づき、仲間外れにされた時の寂しさ…という状態となり、とにかくスーパーファミコンのサード離れの危機を回避するため、任天堂は周辺機器の開発に取り組む、まさかSFCのCD-ROMドライブを自力で開発するのかと思ったらハズレ。な、何とサテラビューと言う宇宙から任天堂自社のソフトとサードのソフトを確保する装置…。このころから任天堂は誤った方向に迷走…(同時期にセガもセガ・オブ・アメリカ指導でスーパー32Xを開発し、やはり任天堂と同様誤った方向に迷走している)。
個人的には、カセット交換式も起動や読み込みの早さ。そして所有欲という観点から好きですね。
プレステを最初に触った時、起動の遅さでかなり萎えた記憶があります。
CD-ROM自体もメリットが非常に有るメディアではありますが、
個人的には、その選択が正しかったのかという点については今でも疑問ですね。